マンガもどきで文章を書く
2020年3月19日 自宅
浮かんでいるのに。
クッキリと見えているのに。
書けない。
自分の力不足に落ち込んだ。
私の文章はゼロ計算である。
思いつくままに一気書き、 それが私のやり方だ。
だが、思いつき方が2種類ある。ひとつは、ことばが小ぶりの雨のようにぽつぽつと降ってくる。ノッているときは、土砂降りの勢いで降ることばに押しつぶされそうになる。こっちはいい。キーボードをうつスピードが追い付かなくて困るぐらいだ。もうひとつが悩みの種だ。
イメージが浮かぶ。
脳内で演劇が上映される。こっちも展開には困らない。もう、頭の中で演じられているのだから。悩ましいのは、頭の中の映像をことばに翻訳することだ。これが、どこまでもうまくいかない。
頭の中では、映像だけでなく音も響いている。雲の上から眺めているような、触れる寸前まで近づいて観察しているような、不思議な感覚だ。どちらも、よく見えている。登場人物の話し声や食器が当たってカシャンとなる音も聞こえる。それほど、イメージがハッキリしているのに。
描写する力が足りない。
毎回、なんとかイメージに近づけようと頑張る。だが、どうしてもイメージ通りには書けない。どこか、ものたりない。それでも、去年の一月に書きだしたときよりはマシになった。あるものを参考にしてからだ。
マンガ
脳内のイメージは現実に限りなく近い。あまりにも細かすぎて、すべてをことばにすると切れ味の悪い刀のような文章になる。テーマのぼやけた長すぎる文章は、読者にとっての睡眠薬になってしまう。だから、まずマンガにする。
デフォルメ
余計な情報を削り取り、テーマに必要なモノだけを残す。手をマンガ描く時に指紋を消すように、無くても困らない部分をザックリ切り取る。必要な部分もできるだけ単純にする。耳を三角のカタチ、口を丸のカタチで描くように単純化する。そうして、マンガに置き換えたモノをことばに置き換える。
この発想に気づいてから、無駄な文章が減った。描写の鮮やかさは足りない。ことばがビシッと短くできてない。まだまだ理想からほど遠い。それでも、気づく前の文章を読んで直したい。心から思える程度には成長した。改善点がわかっても直さないが。
なぜか、時間が経ってから直すと文章の面白さが減る。小説家になろうなどの小説投稿サイトで、何度も読者の立場で味わった。だから、赤面するほどもどかしくても私は文章を直さない。誤字・脱字と誤った情報は例外だが。
世の中には、文章の書き方の本がたくさんある。私も10冊ほどは読んだ。だが、行きづまった。それを救ってくれたのは、マンガという別の分野だった。その中で私は学んだ。なにも同じ分野に限定する必要はない。助けになるものなら、何でも使えばいい。人生と同じように、こだわり過ぎると息苦しくなる。やわらかな視点で世界をとらえれば、ヒントはいくらでも見つかる。見えなかったのは、自分の頭がガチガチに固かったせいだ。反省である。
とりあえず、マンガの描き方の本は5冊ほど読んだ。そろそろ、知らないことが減ってきた。次の世界に移る合図である。次はどの分野へ探索に向かおうか。活字中毒の私も、ことばをつづる私も、ソワソワしている。苦しみながらも、楽しめる対象を見つけられた。
私は幸せ者だ。
悩みの解決策は、すぐ側にある。
見つからない?
足元にあるのに、前ばかり見ている。
だから、見つからないのだ。
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