歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】1年前は微風

1年前は微風

 

2020年4月27日 自宅 

 

目が覚めた。

身支度を整え、パソコンの電源を入れる。

 

まず、健康チェックの記録を打ち込む。その後、ブログ・Twitter・Facebookなどにいただいた反応を見にいく。朝の日課だ。

 

毎日、何らかの反応がある。

これほど、心強いものはない。

 

1年ほど前は、何を書いてもほとんど反応がなかった。何日かに1回、ぽつんと反応がある。たまに来る微風のような動きにキョドキョドする。そんな落ち着きのない日々だった。

 

あの頃は、どうすれば読んでもらえるかといろいろ試した。アクセス数が多いサイトを観察したり、文章の書き方や広告の本を読んだり、手当たり次第に調べた。反応をいただいた投稿を分析したら、「なんとなくで書くのが最も反応がいい」という結論だった。調べた意味があったのか、なかったのか。とても複雑な気持ちになった。

 

 「どうすれば、人に伝わる言葉がつづれますか?」

「あんたはそのままでいい」

 

去年5月、本を何十冊も書いている方に尋ねた回答がこれだ。ダメだしされる覚悟だったのに、まさかのそのまんま路線である。『なめんじゃないわよ』の心意気でまっすぐ書けばいいと激励していただいた。嬉しさと戸惑いの両方を抱えたのを覚えている。

 

そのアドバイス通りに何か月も続けた結果、今では反応がない日がない。あまりの反応の無さに「文章を書いている意味はあるのか?」と思った日は数えきれない。だが、とりあえず1年はやってみようとコツコツ書いた。あの微風時代に、書くのを止めなくてよかった。

 

なぜ、書き続けられたか?

 

言葉が好きだから、としか言いようがない。私は読むのが大好きだ。家電製品の説明書や詩、小説など文章の長さもジャンルも気にしない。とりあえず、言葉があれば何でも読む。けれども、読むだけでなく書くのも好きだと気づいたのは去年である。それまでは病気で関節が傷みやすいという事情もあって、文章を書こうとすら思っていなかった。なぜガッツリ書く気になったのか。その動機は不明である。

 

「物語を書きたいな」、ふと思いついた。

ただ、それだけである。

 

物語を書くためには、文章の勉強が必要だ。ならばと、たまたま知り合いになったばかりの本を数冊出している作家さんにアドバイスを求めた。プロも通う文章の書き方教室を教えてもらい、その準備をしていた。ちょっと通いだすまでに間があったので『何かしようか?』と思い立ったのがブログとTwitterである。Facebookにいたっては、いつ更新を始めたのかすら覚えていない。振り返ると、すべてが思いつきだ。行動力があると言えばカッコいいが、ただの無計画である。

 

それでも、なんとか続いている。

好きのパワーは偉大だ。

 

 始める前に悩むとよく聞く。残念ながら、始めても悩みはなくならない。むしろ、始める前よりも悩みは増える。真剣であるほど、同じくらい不安もふくらむ。だが、ある程度続けると不安がしぼんでくる。悩みがゼロにはならないが、共存できるようになる。工夫しながら続けていれば、どれほど不器用でもスキルは上がる。

 

どうせ悩みはなくならないのだ。サクッと始めた方がいい。早く始めるほど、より早く上達する。向かないなら止めればいい。

 

好きか、得意か。

 

どちらかがないと、どうせ長くは続かない。向く、向かないがハッキリすれば、同じ場所をぐるぐる回るような悩みは減る。行動は結果を連れてくる。その結果がどうであれ、得るものは必ずある。

 

人生は永遠じゃない。

悩むだけでつぶすには、あまりにもったいなさすぎる。

 

 

考えるだけでは、何も変わらない。

行動こそが、変化の始まりだ。

 

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