書いた文章が黒い
2020年8月1日 自宅
なにこれ
とってもピュアブラック
自分自身にドン引きした。
何か月も前に書いた文章を読む。そういう自虐的な行動はまずしない。ただ、ゼロではない。どれほど古い文章でも、読者様の反応があれば確認に向かう。そのとき、目を伏せても言葉がチラ見えする。すると、たまにこういう文章に当たる。
黒い、黒すぎる。
脳内そのままを言葉にすると問題がある。なので、薄めたり、付け足したり、代わりを探したり。料理に味付けをするように毒が漏れないようにしている。そのはずなのに。
隠せてないやん。
グレーどころか、ただのブラックですらない。
混じりけなしのピュアブラックやんけ。
なんで、書き上げたときに気づかなかった。
そのまま投稿するような愚かな行いを。
どれほど後悔しても、世の中に公開した結果は変わらない。気をつけようと心に刻めるだけだ。それなのに。目から血が流れそうなほど後悔しているのに、定期的に黒い思考がひょっこり文章に現れる。問題を解決するには現実を直視する必要がある。ドス黒が隠せなかった時の状況を調べてみた。つまり、やらかした文章を一気にチェックする苦行の始まりである。ツライ。
のたうち回りながら確認した結果、ある傾向がつかめた。同時に、ドロッとした黒がにじみ出た理由も察した。納得はできたが、改善は難しそうだ。
イラついている。
怒りがふつふつと湧き上がる内容を書いているとき、どうも言葉の調整機能が鈍るようだ。イラつきに思考が割かれ、その分だけ黒さを覆い隠す機能が落ちる。判断力も落ちているので、投稿前に読み返しても言葉の毒々しさに気づけない。なんせ、どこにも偽りはないのだから。つまり、原因は自分の思考の黒さだった。
直しようがないじゃないか。
これを根本的に直すという事は、人格を変えろという事だ。多重人格だって、そんな簡単に役割は変えられない。言葉をつづっている人格は黒が強めの人格だ。白よりの人格はすべて世の中への怯えが強めで、脳内ですら表にはあまりでてこない。根本的な解決は絶望的である。
詰みだ。
打つ手はない。
改善策は怒りを感じないことぐらいだ。だが、理不尽のない人生なんぞ存在しない。しかも、私の人生は波乱に愛されていると言っていいほどイベントが多い。理不尽だらけの体験で磨かれた結果が黒い思考である。おそらく、これからも黒い思考のレベルを上げるようなイベントが待ち構えているだろう。黒い思考とサヨナラするのは死を選ぶに等しい。
毒舌だらけな文章を何とかしたかっただけなのに。
黒い思考は危機管理のひとつである、という結論に至った。
ほわほわ思考でいられる人生だったら
思わなくもないが、これが私の人生だ。スリル・ショック・サスペンスだらけなので面白くはあるが。今更、おだやか人生を渡されても生きている実感がなくなるだけだろう。波乱という刺激に慣れてしまった。黒い思考はその副産物なのだ。
人生と思考はくっついている。
それを確認する1日だった。
人生は、その人の思考でできている。
同時に
思考は、その人の人生でできている。
自己紹介でもある記事
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