歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】何事にも限度はある

何事にも限度はある

 

2020年8月5日 自宅

 

さすがに、これは。

 

断ち切るしかなさそうだ。

 

 

「あんな人とは思わなかった」

 

今年、ネット上でも対面でもよく頭に入ってきた言葉だ。命やお金が絡むと、人は豹変する。『トラブルに巻き込まれる前に知ることができて良かった』、私の感想はこれだけだ。幼稚園卒業までに実例を目撃していたので。

 

どれほど信じたくなくても、相手の本性は変わらない。そして、傷ついて立ち止まっている暇もない。そんなのは後だ。まず考えるのは、目を覆いたくなるほどの醜さを表した相手への対応だ。すでに時代は激動に向かっている。世の中が揺れ動く時はトラブルが頻発する。ゲスな人は自分の為ならすべてを蹴落とす。トラブル時に余計な動きをされたら厄介だ。トラブルが起こっていないうちに対処を決めておく。それが、トラブルを抑えるコツのひとつだ。

 

「身内なのにひどい」

「ずっと仲良くしていたのに」

「一度の過ちを許さないなんてひど過ぎる」

 

経験上、よくよく知っている。人の性質はまず変わらない。自分が楽をするために、フラフラの人間から唯一の食料を奪うような人がいる。自分が飢えて死にそうで奪うのではなく、余裕があるのに足りない他者から奪う人がいるのだ。ミスとか能力不足という次元の話ではない。自分の意思しか大事にしない人は存在するのだ。

 

私は期待を持たない生き方をしてきた。だから、「あんな人とは思わなかった」とは思わない。相手の本質を読み間違えた自身に反省を求めるだけだ。次は読み間違えをしないように見誤ったポイントをチェックして終いである。相手の言動を引きづったりはしない。トラブル豊作な私の人生でそんなことをしたら重さで一歩も歩けなくなる。トラウマだけでも重量オーバー気味なのに。

 

代わりに、縁を切るかどうかは即判断する。論理的に考えるのではない。脳内で「この人、ダメだわ」という声が聞こえる。おそらく、心の中に線が一本引かれているのだろう。その線を越えたら、もう後戻りはなしだ。縁を完全に断ち切るために動き出す。これを繰り返した結果、血縁とのつながりが薄くなった。唯一、縁を残した叔父は先年あの世に向かった。父がいなくなれば、すべての縁が消え失せる。縁が切れた日の清々しさを覚えている。その決断は正しかったのだろう。あれほど多かった、人生トラブルが激減したのだから。

 

こちらがどれほど我慢しても、あまり効果はない。何事にも限度はあるのに「前を許してくれたじゃないか」と逆切れしたりする。こちらにとってマイナスを与えるだけの人物はいるのだ。最高の反面教師ではあるが、縁をつないでおく意味がなさすぎる。

 

「相手に悪いから」

 

それは優しさではない。

相手だけでなく、自分自身も飲みこむ甘さだ。

 

トラブルの拡大は、自分だけでなく周りも巻き込む。我が家のように孫の世代にまで悪影響を及ぼしたりする。『自分だけが耐えれば丸く収まる』という展開にはならない。血縁がそれを教えてくれたので、私はひとつひとつケリをつけてきた。すべて締めたので、私がいなくなっても禍根は残らない。

 

悪縁は消し飛ばした。

これも、私が死が怖くない理由のひとつである。

 

 

悪い縁は、カビのようなものだ。

元を断たない限り、延々と周りを腐らせていく。

 

 

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