歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】ぜんそく、めんどい

ぜんそく、めんどい

2020年8月18日 自宅

 

 

まぁ、仕方ないよね。

 

世の中は誤解に溢れている。

 

 

病院に予約キャンセルの連絡をした。体温38℃と咳のコンボだ。歩けなくはなかったが、色々と面倒な事態が起こりそうなので止めた。今月の外出はゼロ、咳はぜんそくだ。新型コロナウイルスに感染している可能性は限りなく低い。ただ、他人にそれがわかるはずもない。

 

赤い顔でフラフラしている。

ずっとゴホゴホが止まらない。

 

感染症かもしれないのに

外出している迷惑な人 

 

そう、思われる未来しかみえない。

 

実際に、ぜんそくを何度もインフルエンザなどと勘違いされたことがある。説明も面倒、「知らなかった」と言い訳されるのも「わかりにくいのが悪い」と逆ギレされるのも面倒、他にも色々の面倒フェスティバルだった。

 

こちらからすれば、病院にいる時が最も危険だ。異常を訴える人が集まっている、閉め切った空間である。それに、外出ゼロで家にいる貧弱な病人より、健康で毎日外出している人の方がよっぽど感染している可能性が高い。

 

だが、そんなことは関係ない。

責められるのは、こちらである。

 

そして、数が多いのは自由に外出できる人である。

 

ただただ、ひたすら面倒くさい。

 

アレルギー皮膚炎を「バイキン」と集団でいじめを食らった時並みに面倒だった。事実とか誤解とかは関係ない。多数派に誤解を与えたこちらが悪いらしい。謝られた記憶がないので、それが世間の本音なのだろう。

 

なので、私は自衛に走る。

大人しく、家でジッとしているのが平和である。

 

「自分は悪くないのに、どうして」

 

そんな悩みを抱えるような純粋さは私にはない。まず、世の中を公平とも平等とも思っていない。弱肉強食を幻想で覆い隠している理不尽だらけの世界だと幼児期に確信している。「みんなで集まれば変わる」なんて言うが、集団になった瞬間に弱者は強者になっている。互いの中身がどうであれ、強者同士の争いである現実は変わらない。

 

それに、自分を責めた相手を恨む気はない。

 

あちらからすれば、感染症を広げようとした人間から大事な人たちを守った。これが、私を攻撃した相手にとっての事実だ。与えられた情報や立場が変われば、事実も異なる。それを知っているので恨む気になれない。とった手段やその後の対応を認めるつもりはないが。

 

面倒くさい

 

これが、私の総括である。

 

「こちらが事実を伝えているのだから勝てる」

 

そういう意見はよく見かける。現在だけでない。古代の書物にも記されている。そして、そう記した人の多くは敗北している。当然だと思う。そこには事実は異なるという視点がない。事実が伝わらないから争っているのではない。互いの事実が認められないから争っているのだ。そして、勝った方が生き残った。それだけの話だ。強かった方でないのがポイントである。いや、生き残ることが誠に強いという事なのかもしれない。

 

自らの事実を受け入れてほしいなら、伝え方や立ち回りに工夫がいる。ただ事実であるだけでは現実は何も変わらない。歴史が何度も実例を教えてくれているのに、現状は同じことの繰り返しが何千年も続いている。

 

個人も、組織も、国も、

やっていることは古代から何も変わらない。

 

面倒な話だ。

 

私は面倒くさいことが嫌いだ。だから、今日の通院は中止で寝ていることを選んだ。電話で話した受付の人も嬉しそうだった。病院もトラブルは避けたいのだ。私と病院の事実は一致している。それゆえ、予約キャンセルに苦言されることもなく次の予約を入れることで話はすぐに済んだ。

 

相手目線が大事

 

事実を受け入れてもらう時にも必要な考え方である。

相手の望みを知らずに、うまくまとまる交渉なんてないのだ。

 

世の中をみる目が冷えきっている?

今更だ。

 

 

事実すら異なる。

 

多くの人が受け入れる日はきっと来ないだろう。

 

自らの事実が正しい。

そんな風にプログラミングされているのだから。

 

 

 

 自己紹介でもある記事

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