歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】雑誌『週刊ダイヤモンド』に面白さを学ぶ

雑誌『週刊ダイヤモンド』に面白さを学ぶ

 

2020年12月23日 自宅

 

わかりやすい。

 

それだけでは足りないのね。 

 

 

久しぶりに紙の雑誌を買った。いつもは雑誌は電子図書で読む。だが、今回は書籍『独学大全』特集の付録が欲しかった。経済誌を紙で買うのは何年ぶりだろう。購入理由がアニメ雑誌を手に入れる時と変わらないのには目をつぶった。

 

付録が目的、雑誌本文はおまけ

 

世の中には、付録が目当てで買った雑誌は読まない人が結構いる。私は違う。ビックリマンチョコのチョコ菓子を捨てるようなことはしない。シールは専用ファイルに保存、チョコ菓子は美味しくいただく。書籍『独学大全』の特集を熟読後に本棚に収納、すぐに雑誌本文を読んだ。

 

爆笑

 

世界の外交のページで笑いが止まらなくなった。唐突な『ぴえん』は不意打ち過ぎる。2020年まとめと2021年の予測がメインテーマだ。流行語や新語が組み込まれるのは予測できた。それでも、真面目くさった似顔絵に硬い文章だらけの世界地図に『ぴえん』がくるとは。

 

最近の経済紙は自由だな。

 

いや、待てよ。たまに電子図書で目にする経済紙はここまで冒険していない。 雑誌『週刊ダイヤモンド』がはっちゃけているのか。年末の忙しさによる狂気の現れなのか。個人的には面白かったので理由はどうでもいい。とりあえず、雑誌『週刊ダイヤモンド』を定期的に目を通す雑誌リストに追加した。

 

それにしても、笑い過ぎてツライ。

 

『ぴえん』自体が面白かったのではない。言葉の使い方が絶妙だった。経済誌というのは、どうしてもお堅いイメージがある。特に外交は政治ネタなので、経済紙で扱われるテーマの中でもゴリゴリだ。そこに新語の中でも特にゆるい『ぴえん』をツッコむ。内容が持つテーマの堅さと新語のゆるさの違いが腹筋を直撃した。

 

面白さというのは、驚きから生まれる。

 

面白ければ、記憶に残りやすい。

 

覚えてもらえれば、またの機会が訪れる。

 

付録が目的で購入したが、雑誌本文からも学ぶことが多かった。やはり、購入したものは隅から隅まで味わうのがいい。予想外の知識やアイディアは、自分の目線外からコンニチハする。これだから、手あたり次第に読むのがやめられない。

 

私は面白い文章が好きなのだ。

 

そういう文章に出会うために生きている。

そう、言い切れるほどに。

 

雑誌『週刊ダイヤモンド』、笑いをありがとう。

 

 

予定調和

 

これほど、面白くないものはない。

 

予想が外れるからこそ、面白いのだ。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『失われた報道の自由』に驚きを感じない

書籍『失われた報道の自由』に驚きを感じない

 

2020年12月22日 自宅

 

ひとつじゃわからないね。

 

どんなことも。 

 

 

ペンを持つ手が震える。

 

そんな体調だったので、ひとこと日記を書くのも1か月ぶりだ。今日も、書く気はなかったのだが。パートナーが貸してくれた本に心を動かされたので、久しぶりに手書きした。文字を記すための真っ直ぐな線すらブレる。箸より重いものを持ったことがないではなく、箸より重いものが持てないである。こんなことで、良いとこのお嬢様気分を味わえるとは思わなかった。

 

書籍『失われた報道の自由』

マーク・R・レヴィン

 

どこも同じかい!

 

これが、ノートに記したすべてだ。

 

書籍『失われた報道の自由』は、アメリカの報道についての本だ。まずは現在のアメリカの報道について、次に植民地時代~現代までの報道について、最後にどういう報道が望ましいか、大きく3つに分かれている。

 

アメリカの本なのに、

内容に見覚えがありすぎる。

 

あれだ。

 

日本と同じだ。

 

日本の報道の在り方を責める内容と重なってみえる。「海外と違って、日本は報道の自由がない」と耳にしたことは何度もあるが。この本に書いてあることが事実に近いならば、海外も日本と変わらない。

 

書籍『失われた報道の自由』は保守を応援する人が書いた本だ。日本とは違い、海外の本は公平よりも意見の主張が優先されやすい。出版する以上、ある程度のデータの裏づけはつけるが偏りは日本の本よりもキツイ。その偏りを計算して読んでみても。報道の流れ方は違っても、事実をゆがめるという問題の本質は日本と同じだ。

 

情報は疑うものだ。

そのまま受け入れてはいけない。

 

時代も、地域も、民族も関係ない。

あらゆる古典に書かれている原則は揺るぎない。

 

それなのに。

 

日本では、

「海外では、公平な~」

海外では、

「日本では、公平な~」

 

そんな言い方を見かけない日はない。

 

情報は、一か所からでは何も掴めない。

比較する情報がそろって、はじめて事実に近づける。

 

書籍『失われた報道の自由』は、その基本を改めて教えてくれた。

 

この感想を「面白い本を貸してくれてありがとう」の言葉と共にパートナーに伝えたら。「相変わらず、あんたの思考回路はドス黒いな」「ちょとは驚け」と返ってきた。

 

高校生までに幾度も『韓非子』『孫氏の兵法』を実践で利用していた。修羅場慣れした人間が世間の薄暗さをみせられたぐらいで驚くわけないじゃろ?

 

パートナーは

私のに幻想を抱き過ぎである。

 

 

報道の自由?

 

それが存在するのは空想の世界だけだ。

 

失われた報道の自由

失われた報道の自由

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】歴史小説に言葉の威力を学ぶ

歴史小説に言葉の威力を学ぶ

 

2020年10月18日 自宅

 

まったく違うようでも。

 

実は同じなんだ。

 

 

歴史小説が好きだ。

 

古典からネット小説まで、特にこだわりない。面白いと感じるか。それだけが、判断の基準だ。何度も、何度も、ページが外れるほど繰り返し読んだのは。隆慶一郎氏の『影武者徳川家康』がはじめてだった。最近はイスラフィール氏の『淡海乃海』がお気に入りである。片方は新潮社、もう片方はライトノベル、ジャンル違いと言っていいほど文章の持つ雰囲気は違う。

 

歴史もの

 

この共通点しか無さそうだが。実は似ている点がある。これは、この2冊だけでなくすべての歴史小説にも見られる。

 

過去と未来が交錯している。

 

古代、中世、近世

 

どの時代を扱っていたとしても、文章の端々に現代の言葉が紛れ込む。どれほど古い時代を扱った歴史小説でも、現代では使われていない物や行事などを紹介するとき現代語を使っている。

 

例えば、よく長さの説明にm(メートル)の記号が使われているが、これが日本で使われだしたのは明治時代だ。それまでは一反とか、一尺とか、別の単位が使われていた。読者に伝わるように説明しようとするならば、mの表示は外せない。実在する物を例にしている場合もあるが、その物は当時の姿で想像されることを期待されていない。読者の身近に存在する物を当てはめてもらうことで、mを使う代わりにしているのだ。つまり、脳内では一瞬だとしても文章が描く過去の世界に現代が割り込まれる。

 

さらに言うならば、言葉が当時の使い方じゃない。江戸時代ぐらいの本ならば、特に困ることなく読めると勘違いしている人がいるが。実際には、昭和初期でも微妙に意味が異なる言葉や漢字が出てくる。江戸時代なんて、藩を越えた行き来が制限されていた時代だ。交流に通訳者が必要なほど、江戸で使われている言葉とは違う地域がいくつもあった。歴史小説の描く時代の言葉で書かれたとしたら。読めない文章が出来上がる可能性大だ。

 

歴史小説から受ける印象の違いは、どれだけ現代が混じっているかの差で大きく違う。『影武者徳川家康』は現代が最小限になるように工夫されている。『淡海乃海』は逆に現代をひっぱりこんでいる。どちらがいいというのはない。ただ、違うだけだ。

 

この違いに気づいた時、言葉の与える影響の強さを感じた。たとえ、同じ時代を扱っていたとしても使う言葉の選び方で読者に与える印象を大きく変えられる。よくよく読み返すと、どちらの本もシリアスな場面では現代が少なめ、ほっと気が抜ける場面では現代が多めだった。使う言葉の選択で、舞台で照明が変わった時のように自然と場面展開を行っている。

 

何を語るかは大事だが、

どのように語るかも同じくらい大事なんだな。

 

言葉の威力を思い知った。

 

過去と現代

 

違った時代を同時に楽しめる。

 

これだから、歴史小説を読むのはやめられない。

 

 

感じる味が器で変わるように。

 

同じ内容でも

使う言葉が違えば与える印象は変わる。

 

手を抜いてはならない。

記録に残るものは、特に。

 

影武者徳川家康(上中下) 合本版

影武者徳川家康(上中下) 合本版

  • 作者:隆 慶一郎
  • 発売日: 2015/03/20
  • メディア: Kindle版
 

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『できないもん勝ちの法則』に生きることを学ぶ

書籍『できないもん勝ちの法則』に生きることを学ぶ

 

2020年10月2日 自宅

 

くだらない。

 

その瞬間、気づいたんだ。

 

 

ちょっと気落ちしている。いつもなら物語の世界でしばし心を休める。だが、今日はそういう気分じゃない。家には繰り返し読みたい本や未読の本がいくつもある。それにも手を伸ばす気にならない。だから、読みたい本リストから目が惹かれた本を読むことにした。ザっと眺めると、ひとつの題名が気になった。

 

書籍『できないもん勝ちの法則』

 

読みたいと思ってから1年は経った本だ。おそらく、本日が最も読むにふさわしい日なのだ。本も人と同じく、出会うべきタイミングというのがある。すぐに近づけばいいってもんじゃない。気落ちしている今の心情が、私がこの本を深く理解できるタイミングなのだろう。

 

ローなテンションで購入ボタンを押した。

 

 

 

爆笑ではない。

 

ホッと気が抜けるような笑い

 

変わり者の父が、やんちゃで勉強嫌いな息子を面白がる。世間には問題行動とレッテルを張られそうなすべてを全肯定、言葉だけでなく心から楽しんでくるのが伝わってくる。ネコが何もない場所で転んだ動画を観たときのような、ほほえましい気持ちになる。読む前はじめじめローテンションだったが、読んだ後はまったりローテンションになった。

 

問題行動と書いたが、他人を傷つけようとする言動はない。ただただ、素直なのだ。社会の当たり前に染まることなく、自分の想いに忠実なだけなのだ。あまりに正直な言葉すぎて、母や先生を激怒させることもあるが。「確かに、間違ってはないな」と感じてしまうセリフの数々に思わず笑ってしまう。

 

なにより、息子さんが楽しそうなのだ。常識が一等大事な人には、肯定する父も含めて不真面目にみえるかもしれない。 私は違うと思う。息子さんは、誰よりも一生懸命に生きている。少なくとも、この息子さんの辞書には生を嘆く言葉はないだろう。生きている時間を全力で味わっている。楽しい時間だけではない。母に怒られている時も、先生に叱られている時も、嬉しくない時間もぼんやり過ごしていない。

 

ふと、死が近寄ってきた瞬間を思い出した。

 

死が目前だと、

 

周りの評価だとか、

未来への不安だとか、

過去のトラウマだとか、

 

どうでもよくなる。

 

すべてが今しかなくなる。

 

すると、

悩んでいた多くのことが「くだらない」と感じる。

 

苦しんでいた自分が

とても滑稽で笑いが止まらなくなった。

 

書籍『できないもん勝ちの法則』は生が充実している本なのに。

 

なんで、死を思い出してしまったのだろう。

 

いや、不思議ではないのか。これまでの人生で強く生を感じたのは、いつも死に溺れそうな時だった。生から遠ざかるほど、大事じゃないものが剥がれていく。1秒後に死ぬかもしれないのに、翌日の生活費の心配なんてしない。空腹で倒れそうなときに、周りの反応なんて目に入らない。生きようとあがいている最中に、過去を気にしている余裕なんてない。

 

死をやり過ごすと、いつも笑ってしまう。

「どうでもいいことを気にしてたな」、と。

 

書籍『できないもん勝ちの法則』

 

自分に正直な息子さんの言動に、生きるとはどういうことかを考えさせられた。寿命100年時代というが、実際に100年生きる保証は誰にもない。それなのに、先の生活を気にしすぎて今をないがしろにして生きている人は多い。それは、誰のための行動なのだろうか。

 

先の備えが大事とは言うけれど、

そのために今を犠牲にしていいのかい?

 

様々な事情があるので、すべてが思うようにはいかないだろう。自分最優先で他者を危険にさらしたり、今さえよければいいと遊びほうけて借金生活するのは行き過ぎだ。けれども、まだ訪れてない未来や他者の評価のために自分の想いを犠牲にする。それじゃあ、生きるのが嫌になってこないか。日本の高い自殺率や衰弱死の多さが、それを物語っている気がする。

 

どうせ生きるなら、

自分の想いに素直にいこうぜ。

 

書籍『できないもん勝ちの法則』の息子さんほどじゃなくても。

 

先ごろの気落ちは、すでに無くなっていた。

 

 

生きる。

 

この意味を忘れて息をしている人は多い。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『独学大全』技法6<行動記録表>を試してみた

書籍『独学大全』技法6<行動記録表>を試してみた

 

2020年9月29日 自宅

 

読んだら、試す。

 

読書を活かすコツだ。

 

 

3日かかった。

書籍『独学大全』を読み切るのに。

 

とても良い本だった。

なので、記憶がハッキリしているうちに再読する。

 

ただ、この本は独学法を紹介する本だ。読むだけではもったいない。気に入った本は最低でも3回は読み返す。通常は3回目が終わってから学んだことを実践する。だが、何事にも例外はある。問題集のように、読むだけよりも実践を交えながら読んだ方がいい本がある。書籍『独学大全』はそういうタイプだ。

 

すでに実践済みだった独学法は飛ばす。所持していた武器を磨き上げるのもいいが、せっかく使える武器が増えたのだ。新しいものを真っ先に使ってみたい。なので、技法6<行動記録表>を試してみた。

 

やり方は簡単、まず1日の予定を食事や睡眠なども含めて全部書く。次に実際の行動を分単位で書く。スマートフォンを休憩時間にポチポチするような、5分ぐらいの行動でも書く。そして、予定と実際の行動を比べることで時間の使い方を見直すデータを得る。

 

現在10時、開始するには遅い時間だ。理想は、前日に予定を作っておくことだろう。だが、これはお試しだ。目的は、自分の時間の使い方を分析することだ。足りないなら、明日もすればいい。というわけで、午後からの予定を書きこんでみた。実際の行動をすぐに書きこめるようにペンとメモ帳も用意済みだ。さて、どんな結果が出るか。

 

 

どん引きした。

 

えっ、そんなに偏ってたの。

 

パートナーが口うるさく注意するはずだ。

 

文章を読んでいる時間で1日が埋まっている。自分が思っているより読んでいた。食事の時間もゲームの時間も読んでいる。仕方がないのだ。食事に集中すると量が入らない。だから、ながら食いをよくする。ゲームのロード時間にイラっとするので、つい文章を読んでしまう。そんなこんなで、意識がある限り読んでいると言っていいほど活字が生活のほとんどを占めていた。これだと、しんどくて眠れない日の活字タイムは20時間オーバーは確実だ。ひどいとしか言いようがない。

 

自分の認識とは当てにならない。

記録の大事さを痛感した。

 

私は読んで「いい!」と感じた内容は必ず実行する。やってみないとわからない。そういう物事は数多くある。ほとんどは想像通りにはならない。うまくいかないことが多数、うまくいってもいくつか改善点が見つかる。100読よりも1行、両方やればなお良しだ。

 

書籍『独学大全』には、知らなかった独学法がたくさんある。

他の技法を試すのが楽しみになった。

 

技法6だけでも、自分の誤りに気づけたのだから。

 

 

どれほど自転車に詳しくても、

練習もせずに乗りこなすことはできない。

 

頭でわかると、体でわかるは違うのだ。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『独学大全』が届いた

書籍『独学大全』が届いた

 

2020年9月27日 自宅

 

独学ってね。

 

壁にぶち当たるのが宿命なのよ。 

 

 

ひゃっほい。

 

予約していた本が届いた。ずっと、ずっと待っていた。書籍『独学大全』、Twitterやブログで知識をドカドカ流している読書猿さんの本だ。私も、いつもお世話になっている。その知識は大海のごとく幅広く、深海のように深い。もちろん、独学についても語られている。その独学についての知恵が書籍化された。読書猿さん のアカウントをフォローした日から、ずっと待っていた。

 

 独学

 

「教室に通うより安い」「通信教育よりもお手軽」なんて、お気楽にオススメする文章を見かける。ふざけるなと言いたい。小学校に入学する前から独学だった生き物だった。そんな私からすれば、独学が最も難易度が高い。私に体力があったなら。独学を選ばず、ガンガン働いてお金を貯めて教室に通っていた。そう言い切れるぐらい、独学は難しい。

 

学校を休みに休んでいた。登校した日ですら、単位が危なくない授業時間は保健室のベッドで寝ていた。独学するしかなかった。だからこそ、独学を多くの人が失敗する理由がわかる。

 

まず、わからないが解決するまでの時間が長い。誰かに教わっているならば、その人に聞けばいい。共に学んでいる人たちに聞くのもいいだろう。独学にそんなものは一切ない。自分で探すしかないのだ。今はインターネットがあるので楽になったが、高校時代まではそんな便利なものはなかった。そして、図書館や本屋さんに行く体力も十分いない。家にお金がなかったので別の本を手に入れる術もない。教科書を繰り返し読んで、ひたすら理解できるまで考えるしかなかった。人に聞けば3分で解決することに、何時間もかかったりする。何日もかかることだって珍しくなかった。

 

そして、最も大変なのが自己管理だ。試験日以外に締切がない。医師認定の貧弱体質だったので、宿題は免除に近かった。つまり、勉強しなくても誰も責めない。落第点をとったとしても「体が弱いから仕方ないね」と許されただろう。頑張らなくてもいい環境で自らを勉強に向かわせる。この大変さはダイエットに近いものがあった。「今日ぐらいはいいよね」は禁断の罠である。

 

 そんなこんなで、独学するしかない状況でも幾度も壁に阻まれた。おまけに貧弱な身体と複雑な家庭環境のハンデも背負っていた。なんとか留年を一度もせずに高校卒業までたどり着いたが、もう一度挑戦して成功する自信はない。

 

これまでで独学の大変さを知っているのに。現状は独学しか選ぶ道がない。結果的に30年以上も独学生活だが、今でも困ることは少なくない。そこに強力な味方として現れてくれたのが書籍『独学大全』だ。 その本の厚さは867ページ、すごく頼もしい。これまでも読書猿さんの投稿には助けられていた。その知恵が手元に来る。これほど有り難い話はない。

 

同じように待っていた人は多いようで、Twitter上で喜びの声があふれていた。うん、そのお気持ちに同意しかできない。書籍『独学大全』は、ゲームの説明書かつ攻略本のようなものだ。説明書もなく、攻略本もなく、ゲームクリアを目指す。それが、通常の独学だ。クリア方法が探せば見つかる。この安心感は言葉にならない。

 

皆さまの反応を眺めていて笑ってしまった。完読派と辞書派に分かれている。著者である読書猿さんは、辞書のような使い方をまず勧めている。読み切れずに挫折、独学をする心が折れるのを心配されているようだ。書き手としては、全部読んでほしいが本音だろうに。優しい方だ。

 

私?

 

もちろん、完読しますが。

それどころか、繰り返す読み込む予定しかない。

 

活字中毒にとって、分厚い本はただの好物だ。

むしろ、厚みがある方が燃える。

 

私の感覚だと1冊に収まるうちは厚くない。

つまり、書籍『独学大全』は分厚い本に入らない。

 

一般とズレている自覚はある。

読むのが得意じゃない人には、私も辞書的な使い方がいいと思う。

 

800ページ超えなので読み切るのは1日では無理だろう。それが、とても嬉しい。パラパラと眺めてみたら、知らなかった方法がいくつか目に飛び込んできた。知らない知識ほど喜ばしいものはない。知らない場所がわかれば埋めることができる。書籍『独学大全』を理解できる部分が増えるほど、確実に独学スキルは上がる。

 

その日に想いをはせながら、表紙をめくった。

 

 

まったく知らない山奥に

地図もないまま放り込まれる。

 

その状況で

山頂にたどり着けと言われる。

 

それが、独学だ。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『やりたいことがある人は未来食堂に来てください』に厳しさを学ぶ

書籍『やりたいことがある人は未来食堂に来てください』に厳しさを学ぶ

 

2020年9月26日 自宅 

 

また、友人に本を紹介してもらった。書籍『やりたいことがある人は未来食堂に来てください』、ちょっと変わった食堂についての本だ。著者は小林せかい氏、店主さん本人が書いている。それにしても、表紙だけでなんとくなく伝えたいことがわかる。ぱらぱらめくる。256ページの厚さで図も多め、前回紹介してくれた『ずぼら瞑想』と同じく読みやすそうな本だ。 

 

 早速、読む。

 

……厳しい。

 

なにこれ、すごく厳しい。

 

世の中をみる目がすごく厳しい。

 

『未来食堂』『ただ飯』『大衆食堂』

 

優しそうなイメージが湧きそうな言葉がたくさんあるのに、語り口調も丁寧なのに、伝わってくるものがすごくシビアだ。あ、あれだ。モグラたたきだ。他の人ならモグラが完全に見えてから叩くのに、この方は見えた瞬間に叩いている。それどころか、モグラが出てくるパターンを分析、出てくる前からハンマーを掲げて待っている。世間の反応の予測がとにかく手厳しい。

 

「頑張っていればうまくいく」

「いいものを作っていれば自然と広がる」

「誰かのための行いなのだから成功は確実だ」

 

そういう甘さが微塵もない。むしろ、「偽善者」「よそ者」「弱者」と非難されることを想定して動いている。穏やかな文章の端々に怒りが透けて見える部分がある。その部分も丁寧さは剝がれていないのがすごい。新事業は必ず邪魔をする人たちが出てくる。この本に書かれていることは、公開できる出来事のひとつでしかないのだろう。

 

起業だけでなく新しいチャレンジが失敗になる場合、ほとんどは見込みの甘さが原因だ。まず、人には自分の考えは正しいと思いたがる癖がある。そして、時代や運という個人ではどうすることもできない流れがある。うまくいっても、引きずり下ろそうとする人たちが出てくる。そういう予測を乱す条件への想定が甘いのだ。

 

先を悪く思い過ぎると、車を運転中に電柱に注目しすぎて突っ込んでしまう運転初心者のように失敗に向かってしまう。けれども、すべてうまくいくもまずい。大丈夫だろう運転で飛び出した人に気づくのが遅れ事故になる運転者と同じように、取り返しのつかない惨事を引き起こす。目的地に向かうための準備と行動中の注意は『もし、トラブルがあったら』思考が基本だ。世の中を甘くみるものに輝かしい未来は訪れない。

 

表向きは優しい、本質はどこまでも厳しい。

 

なかなか出会いにくいタイプの本だった。私はこういう予想を裏切ってくれる文章が大好きだ。書籍『やりたいことがある人は未来食堂に来てください』、ビジネス書なのに驚きが多いステキな本だった。

 

それにしても、前回は『ながら瞑想』という心理学と禅のコラボ、今回はビジネス書、友人の紹介してくれる本のジャンルがバラバラだ。まことに頼もしい友人だ。

 

次回も楽しみにしている。

友人、ありがとう。

 

さて、もう一回読み返すか。

 

 

希望と絶望

 

このふたつは切り離せない。

 

ゆえに

 

絶望を含まない希望は

崩れ去る未来が約束されている。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『ずぼら瞑想』に継続を学ぶ

書籍『ずぼら瞑想』に継続を学ぶ

 

2020年9月18日 自宅

 

ずぼら、いいよ。

 

悪いイメージがあるのが理解できない。

 

 

友人に面白そうな本を紹介してもらった。重点学び対象としている禅、それに関わりの深い瞑想についての内容だ。著者について調べてみたら、お医者さん兼お寺の住職という気になりすぎる言葉が飛び込んできた。購入ボタンに伸びる手を止める術はなかった。

 

友人は「読みやすい、実践しやすい、続けやすい」と絶賛だった。なかなかの活字中毒なので読みやすいとの評価には疑問が残る。だが、羊さんのゆるゆるイラストな表紙は読者に優しそうなイメージを受ける。それに、お寺のお坊さんだ。仏教の深い知恵をよく知らない人にわかりやすく伝える立場だ。医師の書いた本によくみられる専門用語だらけの文章だとは思えない。特に精神科医が著者の場合、理解しやすい本と理解しにくい本の差が激しい。

 

この本はどちらなのだろうか?

たぶん、理解しやすい本な気がする。

 

まぁ、大事なのはそこじゃない。

語られる中身だ。

 

少なくとも、瞑想の方法を並べるだけなんて浅い本ではないはずだ。仏法と心理学、最低でもふたつの視点を著者は持っているのだから。177ページ、分厚い本じゃない。少なめな文章でわかりやすく説明するのは難しい。

 

それでも、精神科医も住職も理解のプロだ。

文章スキルを上げる参考にもなる中身なはずだ。

 

ちょっとズレた期待を抱えながら、本のページを開いた。

 

 親切だ。

 

この本、すごく親切だ。

 

著者である川野泰周氏の人柄の優しさがしっとり伝わる文章だ。親切なのは文章だけではない。自由時間の少ない人のために、一部だけ読んでも役に立つように構成されている。文章が苦手の人のために空白も多めだ。往々にして、頭がいい人の本は難しいものが多い。自分が理解できるレベルを基準にしてしまうのだ。私は読者置いてけぼり本と呼んでいる。多くの心が傷ついた経験がある人と交流されたからなのだろう。ストレスや疲れなどで思考力が下がっている人でも読みやすくつくられている。

 

中身を読む前に親切さを感じるのだ。当然のように瞑想の解説もわかりやすい。瞑想をよく知らない人だけでなく、「ここまで簡単・お手軽なのは瞑想じゃない」とツッコミそうな人も一理あると思わせるように書かれている。

 

本格的な瞑想は大変だ。

 

何もせずにじっとしている。ただ、これだけも3分を超えると厳しい。何より、できるだけ思考を空白にするのはもっと厳しい。瞑想を一度でも試してみれば気づく。人というのは常に何かを考えている。真空パックに少しでもすき間があれば空気が入ってしまうように、ちょとでも気を抜けば「今日の夕飯はなんにしよう」とか考えてしまう。瞑想では、それを雑念という。瞑想を習慣にしていても、この雑念をゼロにすることはまず叶わない。瞑想の修業を年単位している人でもほとんど至れない領域だ。毎日瞑想15分、これも挫折する人が多いのは無理もない。

 

書籍『ずぼら瞑想』では、もっと簡単な方法を紹介している。1分の瞑想とか、他の作業をしながらとか。習慣の挫折した回数を覚えていない私でも続けられそうな内容だった。しかも、紹介する瞑想の種類がとにかく多い。『これなら、私でもすぐに試せそう』と思わせるラインナップだった。

 

習慣の挫折

 

その原因は”面倒くさい・我慢できない・しんどい”が多い。準備が大変だとか、好きなものを食べられないとか、運動量が多すぎたとか、ダイエットを筆頭に多くの人がこの3つで挫折する。書籍『ずぼら瞑想』では、この3つを徹底的に叩き潰している。親切の暴力と言っていいほど微塵の油断もない。

 

”ずぼら”って素晴らしい。

素直に思える内容だ。

 

瞑想だけでなく、継続についても多くを学べた。それに、とても読者に優しい本だった。ひねくれ者な私には絶対に至れない領域だ。同じようにはとても成れないが、もう少し心臓に負担をかけるような言葉は控えようと思った。考えて文章を書けない私には、完全に達成することはできないだろうが。

 

なんにしても、心地よく楽しめる文章だった。優しい活字中毒者には優しい文章が集まるのだろう。「あんたの頭の中身が理解できない」とコメントされる我が家の本棚とは大違いだ。

 

読んでいるだけで和む書籍『ながら瞑想』

 

友人よ。

紹介してくれて、ありがとう。

 

 またの紹介を楽しみにしています。

 

 

絶対に継続するコツ?

 

止めろと周りに反対されても

やりたいことなら余裕だろ。

 

そうじゃないなら?

 

楽な事さ。

 

 

ずぼら瞑想 (幻冬舎単行本)

ずぼら瞑想 (幻冬舎単行本)

  • 作者:川野泰周
  • 発売日: 2018/04/04
  • メディア: Kindle版
 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『バッタを倒しにアフリカへ』に合わせる大切さを学ぶ

書籍『バッタを倒しにアフリカへ』に合わせる大切さを学ぶ

 

2020年8月29日 自宅

 

下調べは大事だな。

 

どこでも。

 

 

 読みたいな。

 

そう、思いながらリストに眠っている本が多量にある。書籍『バッタを倒しにアフリカへ』もそのひとつだった。今年、サバクトビバッタが各国を襲い多くの被害を出した。そして、Amazonの値引き対象になっていた。それらに背を押されてポチリと購入ボタンを押した。定価でも欲しい物しか買わないが、値引きサービスは積極的に利用する方針なのだ。

 

購入するまで知らなかった。この本で紹介されているバッタはサバクトビバッタだった。しかも、世界で猛威を振るっているサバクトビバッタの生まれた地がメイン舞台である。ニュースの深掘りにもってこいだ。やはり、勘とタイミングで購入した本は外れない。積み本の棚に向かうことなく完読の棚に収まった。

 

切実だな。

 

大事な研究に予算が割かれていない。

だって、普段は儲からないから。

 

感染症の研究と似たポジションだ。人類のダメさがよくわかる状況である。アフリカの砂漠は過酷だからと、昆虫の研究なのに現地に来る研究者すら少ない。それゆえに、日本から足を運んだ著者が歓迎されたという展開になるのだが。

 

それにしても、この著者。失敗をガンガン書いている。日本とアフリカ、その生活の違いによって生まれる失敗談が面白い。「日本で聞いてた話と違う」「こんな結果になるなんて」「地元の人に詳しく尋ねておけば」などの悔いがつづられている。おそらく、本に書かれているのは一部だろう。実際に困った回数はもっと多そうだ。

 

だって、知らない場所になじむのは大変だ。

 

家庭の事情で、私は転校が多かった。国の違いほどの差はない。それでも、生活がうまく回らなくなった時があった。日本という同じ国でも地域が変われば常識がちょっと違う。見知らぬ場所に放り込まれる。親以外は知らない人ばかりで相談相手はゼロ、これは結構きつかった。著者のように、はじめての場所で頼れる相手を見つけるスキルがなかった。代わりに、どこでも潜り込めるスキルが身に着いたが。存在消しを極め過ぎてゴーストいうあだ名をつけられてしまった。コミュニケーション力アップでない点に、当時の人間不信がよく現れている。

 

著者は同じ場所に住み、同じものを食べ、その土地に混じっていた。日本の常識を押しつけるのではなく、現地の常識に溶け込んでいった。郷に入っては郷に従えを実践している。

 

この態度はどこでも有効だ。引っ越し、転職、グループ参加など、自分の知っている常識を絶対としたら輪に入れない。いじめが持ち回りのような、よろしくない常識も存在するが。この常識をはじいた結果、転校するまでの1年半ほどボコボコにされた。きっと、そこの常識に合わせていたら2か月ほどで辛い期間は無くなり、後頭部から流血することもなかっただろう。後悔は欠片もないが。その場の常識を否定するのは、それぐらいの覚悟はいるという事だ。基本は今いる場所の常識に従った方が楽である。ちなみに、この時に体得した逃げ足、気配消しと察知、受け身などは後の人生で大いに役に立った。

 

情報収集、観察、仲間を得る

 

新しい場に溶け込む基本はどこでも変わらないな。書籍『バッタを倒しにアフリカへ』にサバクトビバッタの生態だけでなく、集団への参加の仕方も教わった。失敗談の笑いと共に。

 

著者に会いたくなる、良い本だ。

 

 

常識は、その場のルールだ。

従わぬものには罰則が与えられる。

 

どれほど、理不尽だったとしても、

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】心に響いた言葉はずっと残る

心に響いた言葉はずっと残る

 

2020年8月25日 自宅

 

あの日、心を彩った響きは。

 

今も消えることなく残っている。

 

 

私は活字中毒だ。

 

記憶の始まりには本があった。三歳ぐらいから記憶があるが、すでに絵本を持っていた。父が言うには、言葉を発するより読む方が早かったらしい。むしろ、話すのが遅すぎて発達を心配した。「やっと話したと思ったら、今度は早口が止まらなかった」とのこと。ハイハイ1回で立ち上がった件といい、出だしから変人である。

 

これまで文章を読まなかった日はない。そんな活字といっしょ人生なので、読み終えた本の冊数はわからない。新しい本に手を出すよりも、気に入った本を繰り返し読む時間が長い。それでも、暇さえあれば読んでいるので少なくはないだろう。

 

そこそこ本を読んでいても、ずっと覚えている言葉はあまりない。99%は脳に仕舞われていたとしても引き出せない記憶だ。それでも、不思議とずっと忘れない言葉はある。

 

最初に心に記録されたのは、科学者湯川秀樹氏の伝記の文章だ。”葉と葉のすき間からこぼれる、その光にひらめきを得た”、ノーベル賞受賞者の対象となった中間子の発見のヒントを得た瞬間をつづった言葉が忘れられない。童話と学習マンガ以外で初めて読んだ本だった。貰い物で表紙は茶色く変色していた。古めかしく、挿絵は少ししかなかった。当時は、幼児だったのに。子供らしさが1ミリもない。

 

次はジェフリー・アーチャー氏の『ロスノフスキ家の娘』だ。”予備プランを常に用意しなさい”、富豪の娘に家庭教師が語った教えが、そのまま私の人生の指針となった。ちなみに、この著者を教えてくれたのは私をいじめていた相手だった。図書館でブラブラしていたら、「それ面白かったよ」と著者が破産を避けるために作家デビューした作品『百万ドルをとり返せ!』を薦めてくれた。面白さにのめりこみ、図書館にあった著者の本をすべて一気読みした。ブラックユーモアあふれる学び多き著者との出会いをくれた。その一点で、いじめなんぞどうでもよくなった。お礼代わりに、転校するまで勉強の手助けをしたのも良い思い出である。

 

ラストはスティーブン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』だ。”変えられるものを変える勇気と、変えられぬものを受け入れる平穏と、そのふたつを見分ける知恵を与えてください”、旧版なので現在発売されている本とは言葉が異なっている。もちろん、旧版も新版も持っている。高校2年、司書の先生と本の仕入れに向かった時に出会った。渋る先生をごり押しで説得した。大人も敬遠する分厚いビジネス書、借りたのは私ぐらいだった。先生が仕入れに連れて行ってくれたのはその一回で終了になったが、後悔は欠片もない。

 

記憶を頼りに書いたので、本の中の言葉と100%一致してはいないだろう。それでも、言葉に衝撃を受けた日の情景はクッキリと残っている。この3つの文章は、あくまで本の代表だ。漫画、アニメ、ゲーム、人にかけられた言葉などまだまだある。本に限っても、書ききれないほどの数になる。

 

心に響いた言葉は無くならないものだ。私のような記憶障害持ちですら忘れずにいられる。たとえ、視力を失う日が来たとしても繰り返し読み続けられる言葉だ。私も。

 

心に響く言葉が残したいな。

 

我ながら、なんと高い目標を立ててしまったんだ。

だが、それが本音なのだから仕方がない。

 

一生、飽きることのない目標にはなりそうだ。

 

 

記録に残るよりも、

記憶に残ることはとてつもなく難しい。

 

 

 

7つの習慣-成功には原則があった!

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『風姿花伝』は世渡りの教科書だった

書籍『風姿花伝』は世渡りの教科書だった

 

2020年8月22日 自宅

 

なんとまぁ、正直な。

 

ずっと、隠されていた理由を察した。

 

 

Amazonの読み放題をチェックする。時間を奪っていく行為だとわかっていても、書籍タイトルを眺めることをやめられない。月数回に留まっているのが理性の抵抗だ。以前は外出の度、書店をブラブラしていた。長年の習慣というのは、なかなか抜けないものだ。

 

あるタイトルが目に飛び込んできた。前々から読みたいと思っていた書籍『風姿花伝』、世阿弥という日本の伝統文化を語るうえで外せない人が遺した書だ。伝統芸能の”能”について書かれている。その内容は他の芸術にも通じる。特に演劇の参考になる点が多い。物語をつくる助けになりそうなので、一度読んでみたいと思っていた。

 

当時の言葉と現代語訳と解説

 

すべてが掲載されている書籍が目の前にあるのだ。しかも、読み放題対象なので追加のお金は少しもかからない。読む以外の選択肢はなかった。

 

芸術の書籍を読むのに、理由がせこい?

 

古今東西、芸術というのはお金がかかる。当然のように、関連書籍も値段はお高めだ。高尚な考えは余裕がある人が実行すればいい。こちとら一般人は、締められるところは節約する。当然のことだ。

 

ワクワクしながら、書籍『風姿花伝』のダウンロードボタンを押した。

 

冷徹だ。

 

予想していたのとは、なんか違っていた。

一般人の方がほわほわしているよ。

 

「観客ではなく、スポンサーが喜ぶような演出をしろ」

 「能が一番上手な人ではなく、世渡り上手に跡を継がせろ」

「スポンサーが離れても困らないように、地方巡業もきっちりしておけ」

 

芸人は夢を見せる商売

 

この言葉の意味が少し理解できたよ。

 

”能”という芸術には真摯だった。書いてある八割が技を磨くための教えだ。油断すること、奢ることを戒め、”能”とまっすぐ向き合う心得が説かれていた。芸術方面だけでなく、スポーツや文章や料理など技を磨きたい人なら為になる内容ばかりだ。それゆえ、後半部の酸いも甘いも味わい尽くした身もふたもない言葉に驚く。

 

技の部分は純粋

人の部分は悪辣

 

清濁併せのまないと芸術は遺せない。

 

世の中への冷徹な視点がみっしり詰まっていた。

 

こんな内容を舞台を楽しんでいる観客に見せられるはずもない。書籍『風姿花伝』が書かれたのは15世紀なのに公開されたのが20世紀だったのも納得だ。芸術は生活に必ず必要なものじゃない。それなのにお金はたくさん必要だ。重荷を背負ったまま生存競争を何世紀も勝ち抜いたのは、どこまでも冷静な判断があったからだったのか。

 

芸術の本に世間を生きる術を教わるとは。

こういう予想外があるから、本を読むのはやめられない。

 

書籍『風姿花伝』

 

世渡りの本としても一級品だった。

 

 

優雅に水辺で遊ぶ鳥

 

美しいと写真を撮る人たちに

水面下のもがきを見せることはない。

 

風姿花伝(現代語訳・評釈付)

風姿花伝(現代語訳・評釈付)

 

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『自分をえらんで生まれてきたよ』に貧弱体質への感謝を教えられた

書籍『自分をえらんで生まれてきたよ』に貧弱体質への感謝を教えられた 

 

2020年7月20日 自宅

 

楽だったとは言えない。

だが、嘆く気にはなれない。

 

 

注文していた本が届いた。体調が良かったので、すぐに読みだした。135ページほどの文字が少なめ、1時間ほどで読み終わった。何となく心惹かれ、購入ボタンを迷わずクリックした自分を褒めたたえた。

 

書籍『自分をえらんで生まれてきたよ』

 

重い障がいをもって生まれたりおくんが語った言葉、それを集めた本だ。分類としてはスピリチュアルになる。不思議な話だらけなので戯言だと批判する人も多そうだ。だが、私は読まずに捨て去るにはあまりにもったいない本だと思う。

 

自分だから、できることがある。

 

重い障がいがあるから届けられる。大人でも発狂しそうなほど苦しい治療の日々を嘆くのではなく、そんな自分だからこそ伝えられることがある。生きるとはなにかを考えさせられた。

 

もし、健康な体だったら?

 

貧弱体質で生まれた私は繰り返し想像した。食べたいものを食べ、毎週のように寝込むこともなく、行きたい場所に行ける。それは、どれほど素晴らしいことか。両親に看病の負担をかけることもない。健康な自分を思い描いた。

 

今では、そんなことはない。

 

健康をうらやむ気持ちはゼロじゃない。だが、貧弱体質だったからこそ得たものがある。老いや死への恐怖があまりない。物事への執着も薄い。自由に動けなかったからこそ、想像力が養われた。早く文章が読めたり、独学で困らなかったり、苦しことを笑顔で我慢できたり、大きなトラブルを冷静たり、貧弱体質が鍛えてくれたものは数多い。

 

健康は素晴らしい宝だ。

だからこそ、失われると衝撃を受ける。

遠かった死が身近になり、体がじわじわと衰えていく。

とてつもない恐怖だ。

 

私には、そんなものはない。

 

死は生まれる前から隣人だ。衰えどころか、ふとん生活の常連だ。最初から持っていないので、健康が失われる恐れなんてない。感染症の流行で健康な人が味わっている感情すら、私にとっては日常の一幕だ。健康を持たないからこそ、穏やかでいられる。

 

もし生まれる前からやり直せるとしても、私は断るだろう。健康な体は魅力的だが、穏やかな心には劣る。どんなときも平常心でいられる。貧弱体質がくれた最も貴重な宝だ。健康は失う可能性があるが、平常心はあの世まで持っていける。そういう点でも勝っている。

 

貧弱体質が鍛えてくれた数々の能力があったからこそ、病気以外の人生トラブルも潜り抜けることができた。健康な体で生まれていたら、心身ともに耐え切れなかった。心を壊して衰弱死の可能性が大だ。生きていたとしても、穏やかさとは無縁の人生だっただろう。

 

私にとっては、この体で生まれたことはベストだった。

貧弱体質に感謝だ。

 

書籍『じぶんをえらんで生まれてきたよ』はその確信を深めてくれた。重い障がいをもったりおくんの言葉だから、素直に心に届いた。おそらく健康な人の言葉だったなら「自分で体験したこともないくせに」という思考がよぎっただろう。

 

彼だからこそ、届けられる相手がいる。

私も、その一人だったようだ。

 

 

強さは正しい。

弱さは間違い。

 

そんな風に言い切れるほど、

世の中は単純ではない。 

 

 

自分をえらんで生まれてきたよ

自分をえらんで生まれてきたよ

  • 作者:いんやく りお
  • 発売日: 2012/05/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】『堕落論』に今昔を想う

『堕落論』に今昔を想う

 

2020年5月12日 自宅

 

ありがたいことに、時々コメントをいただく。TwitterやFacebookにブログなど、いただける場所は様々だ。だが、困りポイントは同じである。

 

書いてある意味がわからない。

 

本日、いただいたコメントにも困った。

「その考え方、堕落論だね」

 

 『堕落論』?

えっ、なんですそれ。

 

私は、本を勘で選ぶ。結果、活字中毒なら読んでいるだろう。そんな本を知らないことがよくある。このコメントの語り方だと、おそらく有名なタイトルなのだろう。よかった、今回は『堕落論』というキーワードがあって。キーワードがないと探すことすら出来ない。

 

ポチポチと検索窓にキーワードをうつ。これは助かる。『堕落論』は青空文庫ですぐに読めるようだ。ということは、古典か明治~昭和初期に後悔された文章なのだろう。文章の著作権は著者の死後70年だ。それより前の文章でなければ、青空文庫で日本の文章はまず公開されない。

 

読んだ。

 

1946年作の文章だった。今なら炎上しそうなほど、日本社会をぼろくそに批判している。戦争が負けたことで思想をがらっと変えた、日本人の変わり身の早さを嘆いている。放送禁止用語だらけである。しかし、この著者はツンデレだ。

 

ボロクソにぶっ叩いているのに。

生き抜くためにはそれでいいと認めている。

 

昭和21年なんていう、自分が生まれる前の文章なのに。

今を語っているように感じた。

 

感染症の流行で常識がひっくり返った。これまでの当たり前が塗り替えられていく。これまでの方針が撤回される。発言が無かった扱いにされていく。「ハンコや手書きじゃないと信用できない」、なんて語ってた人がお役所のIT化の遅れに文句を言っている。意見をコロコロ変える人々の群れになんとも言えない気持ちになる。

 

ただ、見方を変えれば適応力があると言える。昔は過去の発言が都合が良かった。今は、手の平を返した発言が必要なのだろう。過去を覚えていて、「言ってることが違うやん」とツッコミを入れている私の頭が固いのだ。

 

人の意見を否定しまくってきた人たちに思うところはある。けれども、なにも言う気はない。うちの父のように「そんなこと言ってたっけ」と自己都合の記憶を捏造するだけである。無駄に疲れるだけだ、私はもう遅いが。

 

『堕落論』は、私の頭を冷静にしてくれた。きっかけをくれたコメントに感謝である。だが、ひとつだけもやっとしたものが残った。70年以上前の文章が現代に当てはまる。

 

それって、日本社会は成長していないのでは? 

 

ギリシャ時代の哲学が

現代でも当てはまる人類のように。

 

とてつもなく、嬉しくない気づきである。

 

 

組織は構成員に似る。

特に悪い部分は。

 

 

 Amazon 

堕落論

堕落論

  • 作者:坂口 安吾
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: Kindle版
 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』は本好き以外にも役に立つ

書籍『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』は本好き以外にも役に立つ

 

 2020年5月9日 自宅

 

 待っていた。

この本が届くのを待っていた。

 

書籍『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』

 

楽しそうにツイッターで感想を語る皆さまをチラチラ見ながら、配送さんのピンポーンを待っていた。本を受け取るときは、いつもよりにこやかに対応してしまう。予約ゆえ到着を何か月も待っていた時は特に。

 

梱包を開けなくてもわかる。

なかなかの分厚さだ。

この厚さがすでに読む人を選んでいる。

 

文章好きの私にとっては、ショートケーキを頼んだらホールケーキが目の前に出されたようなものだ。実際に起こったら食べきれないが、文章は別である。いくらでも美味しくいただける。

 

著者のTwitterアカウントには日参している。期待外れという心配は一切ない。ただ文章を食すのみだ。イタダキマス。

 

 

あ~、おいしかった。

 

3時間じっくりコース料理を味わったような気分だ。いたるところに書籍の名前がスパイスのように散りばめられている。スパイスを探しに行くのは決定だ。美味しい料理を味わった定番、また来ようねも確定である。

 

本好きにはたまらない本だ。逆に言えば、本が苦手な人には近寄りがたい。枕を上回る厚さの本を見ただけで眠くなる、父のようなタイプは絶対に読まないだろう。ちょっと考えてみた。

 

本好き以外が読んでも役に立つか?

 

出た答えはイエスだ。

 

この本を要約する必要はない。『わたしの知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』というタイトルが、この本のテーマそのものだ。あえて言い換えるならば、新しい世界をみたければ他者を頼れという事だ。時間は有限、すべてを知るには足りない。お金も足りない。体力もも足りない。なにより自分の好みという枠は、自分ではなかなか越えられない。だから、他者の知恵をお借りする。

 

これは、他の分野にも応用できる。

試しにタイトルをいじってみた。

 

わたしの知らないスゴ歌は、きっとあなたが聞いている

わたしの知らないスゴ街は、きっとあなたが訪ねている

わたしの知らないスゴ絵は、きっとあなたが眺めている

 

一部強引さがあるが意味は通じる。

他者に頼る戦法は、どの分野でも有効なようだ。

 

本好き以外におすすめする場合のセリフも考えた。

「前書きと第一章だけでも読んで」

 

文章を読みなれていない人に389ページ+付録47ページはつらすぎる。前書きと第一章だけなら50ページだ。このページ数なら、本が睡眠薬になる親友のような人も手を伸ばす可能性が出る。

 

なぜ、こんなことを考えたか?

好きになった本は多くの人に読んでほしいからだ。

 

無理に押しつける気はない。個人的な考えだが、本は楽しんで読むものだ。イヤイヤ読んでも本への苦手意識が加速するだけだ。だけど、読んでくれる人を増やしたい。だから、読む気になってもらるようなセリフを考える。読んでくれた人が増えれば、続編が出版される確率が上がる。

 

好きな本を語り合える仲間が増え、続編または新刊が出版される。

私にとって、最高のハッピーエンドだ。

 

自己中?

よく言われる。

 

本が苦手な人にオススメするセリフを考えるほど、好きになれる本に出会える機会は少ない。そういう本に出会えた。今日はとってもいい日だ。おまけに、次に読む本のリストがどっさり増えた。

 

私の眼が充血する日々が終わることはなさそうだ。

 

 

自分だけだと眼は2つだが、

他者を頼ればいくらでも増える。

 

 Honya Club

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わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる

わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる

  • 作者:Dain
  • 発売日: 2020/04/30
  • メディア: Kindle版
 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】書籍『人生最後の日にガッツポーズをして死ねる たったひとつの生き方』に元気をもらう

書籍『人生最後の日にガッツポーズをして死ねる たったひとつの生き方』に元気をもらう

 

2020年4月29日 自宅

 

 待っていたよ。

 

予約していた本が届いた。

 ひすいこたろう氏、久しぶりの新刊である。

 

 この方の著作では江戸幕府から明治政府に権力がうつる、幕末のエピソードがよく紹介されている。しかも、文章がとても読みやすい。しんどい時も手に取りやすく、歴史好きの私は好んで読んでいる。今回の本は幕末のエピソードの紹介ではなく、幕末がメインテーマの本だ。予約する以外の選択肢がみえなかった。

 

今日は幸いなことに体調がいい。

一気読みをするチャンスだ。

 

受け取る前にしていた作業をすべて放り出し、読書モードに突入した。

 

 うん、面白かった。

 

本文だけで250ページを超える、そこそこ厚みがある本だが2時間ほどで読み切った。ずっと読んでいたいと感じる本ほど、目の動くスピードが早くなってしまう。楽しい時間ほど、なぜ短く感じるのか。だから、つい繰り返し読んでしまう。

 

書籍『人生最後の日にガッツポーズをして死ねる たったひとつの生き方』も繰り返し読みたい枠の本だ。今回の本で紹介されている偉人は吉田松陰氏、高杉晋作氏、野村望東尼氏、ジョン万次郎氏、坂本龍馬氏の五人だ。全員が生死の危機を何度も乗り越えている。私にぴったりの本である。

 

人生最後の日

 

本のタイトルにも含まれている言葉だ。私はこの心意気ではなく、この気持ちを抱えて生きている。だから、よく紹介される勇気づける系の本は私には当てはまらない。

 

「老後を安心して過ごすために、今を頑張る」

10年後に生きているかすら、わからないのですが?

 

「早起きで気持ちを整えよう」

起き上がれるかすら、未定なのですが?

 

「筋トレは心も鍛えてくれる」

立ち上がれるかすら、不透明なのですが?

 

ことごとく、現実がアドバイスを打ち崩していく。参考にはなるが、勇気をもらう本ではない。自己啓発系の本は、私にどれだけできないことが多いかを突きつけるジャンルである。自分事と考えずに読む、そういう対象だ。

 

私に元気をくれるのは歴史や哲学、宗教のジャンルである。死を真正面からとらえている内容だけが、前を向く助けになってくれる。ただ、死を扱うジャンルは騙しが多い。「弱っている心につけこんで稼いでやろう」という邪念の本だらけだ。人間のエゴを強く感じるジャンルでもある。そういう本に出会ってしまったときは、物語の世界に避難する。死と向き合う本と別世界を描く本が、私の精神安定の要である。

 

ひすいこたろう氏の本は安心して読める。なぜならば、著者自身が幕末の偉人に魅せられているからだ。「こんなカッコいい人たちがいたんだよ」という熱意が文章から伝わってくる。幕末偉人推しのファンとも言える。だから、言葉に邪念どころかウソがない。その純粋さにいつも元気をもらっている。

 

死が身近な現実をどう生き抜いたか。

 

私にとって、これほど参考になるテーマはない。どれほど楽しく生きていても、不安にかられる日はある。熱にうなされ、息苦しく、体が痛みで震える時は、このまま死ぬかもと思う。翌日、無事に目が覚めても素直に喜べない。眠ったまま死んでいれば楽だったのに、そんな言葉が頭をよぎるときもある。

 

そんな弱い自分に活を入れてくれるのが、死と隣り合わせの時代を生き抜いた人の軌跡だ。その姿を感じるたびに、もう少し頑張ろうと思える。なんの支えがなくても前を向けるほど、強くはなれない。偉人の生き様という花のようにかぐわし見本があるからこそ、やけにならずに済んでいる。歴史に残らぬ陰に、泥臭い事実があったとわかっていても。

 

やっぱり、歴史がテーマの本はいい。

この感動が消えぬうちに、読み返しだ。

 

閉じた本を、再び開いた。

放り出した作業をそのままに。

 

 

死は生の傍にある。

ただ、見えにくいだけである。

 

honto

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